ヒストリー

                      
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陶器のまち信楽の産業遺産「登り窯」。
使い古された窯の垢を落とし、使い込まれたものを生かし、人々の集う場所へ。

信楽の中心地に位置する窯元散策路。そのろくろ坂を登りきったあたりに古い大きな登り窯があります。かつて、この周辺には大きな登り窯が100以上もありました。しかし、時代の変遷とともに登り窯は次第にその役目を終えていきました。
使われることがなくなり、長い間放置されていた登り窯ですが、「その姿を地域の文化遺産として後世に伝え、ここで新しい歴史を紡いでいこう」と私たち明山窯と、その想いに共感してくれた滋賀県立大学の学生グループ“信・楽・人”が協働し、自らの手で解体・整備を行いながら2010年「Ogama」は誕生しました。
これは、そのOgamaがオープンを迎えるまでを記録したストーリーです。

(※写真の左右矢印をクリックするとスライドショーでご覧いただけます。)

 

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  • 陶器のまち・信楽の産業遺産といういべき登り窯。信楽の長野地区では、大窯町や焼屋町を中心に数多くの登り窯がありました。
  • 近年、信楽ではガス窯や電気窯が主流となり残った数少ない登り窯も長い間放置されたままにあります。ここもその一つでした。
  • 作業は、改修に使うものと使わないものとを仕分ける片付けから始まりました。登り窯で焼かれた陶器や、当時使われていた道具なども見つかり、信楽の歴史を生で感じることができました。
  • 登り窯の景観をそこなっていた、老朽化の激しい倉庫を解体しました。
  • 登り窯を覆っていた大きな防煙スレートを解体し、登り窯の姿が明らかになりました。
  • 解体した倉庫があった地盤は、立ちざやや陶器の破片などがたくさん詰まっており、いつ崩れてもおかしくないほど危険な状態でした。
  • 崩れかかっていた斜面は、コンクリート擁壁で補強する大規模な工事がされました。
  • 何十年も使い込まれた登り窯の汚れは簡単には落ちません。車の洗車などに使う高圧洗浄機で何度も磨き上げました。
  • かつて登り窯の火起こしや、焼き上がった後にみんなで酒を酌み交わした「火袋」。その床に陶板を敷きつめました。陶器を焼くために使われていた棚板を、今度は登り窯をしつらえるために使います。
  • 火袋の棚板の隙間には、陶ころ(陶器の破片を細かく砕き、角を落としたもの)を敷きつめました。
  • 窯へのアプローチにする階段には、登り窯で焼くときに使われていた煉瓦を使いました。大きさも形もばらばらな煉瓦ですが、登り窯との相性は抜群です。
  • 階段の踏面に敷きつめたシコ(燃焼後の登り窯から出る瓦礫)は、高温に晒されたものほどきれいな珊瑚色をしています。

 

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  • 登り窯の隣に建つ築100年の作陶室。建物の外までモノが溢れかえっていました。
  • 陶器に釉薬を掛ける場所にしていた、建物の出入り口。日中でも薄暗く、常に湿気のこもる場所になっていました。
  • 様々な作陶道具が部屋中にひしめく作陶室。窓がなく、日当りも風通しも良くない陰湿な空間でした。
  • まだ焼かれていない生地の陶器や素焼きの陶器もたくさんでてきました。
  • 改装は作業小屋の大掃除からはじまりました。
  • 2階も使われていない物置部屋となっていました。
  • 壁をはがすと、その下から昔の土壁がだんだんと露になってきました。
  • 炭で汚れ崩れかけていた漆喰をはがしました。 何十年もの炭やほこりがつみ重なった柱や梁を何度も磨き上げました。
  • 2階は天井をはずして、無骨な小屋梁を剥き出しにしました。
  • 新たに張り替えた壁と、既存の土壁の仕上げをそろえる細かな作業を繰り返します。
  • こびりついた埃や汚れを落とした柱は、墨で磨き直し、質感のある柱へと仕上げていきました。
  • 柱と同じく、天井や壁も墨で塗装しながら磨いていきます。
  • 2階の床には、使い込まれた古い足場材を張り、ペンダント照明を設えて空間を整えていきました。
  • 陰湿な空間だった屋外の縁側部分には土間を打ち、カフェ空間と一体感のある風通しの良い明るい空間となりました。