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2011.08.15
【朝日新聞】おんなの一生 『友達講』

おんなの一生 石野 子よし
『友達講』 S.41.7.15 朝日新聞記載
今が一番しあわせ 温泉旅行や芝居見物

戦争が終わって二十一年——この間も信楽焼に浮き沈みがあり子よしさん一家はそのたびに、笑い
そして泣いた。
「上の男の子は二人とも死んだので、家業は三男の明が継ぐことになりました。主人はまだ元気
で、明に仕事を仕込みます。もう昔のように怒ったりしませんなんだ。戦災地は無論のこと、
焼け残ったお家も戦争中の金属供出で、道具類が少のうなっています。そやさかい、火鉢
やコンロは売れて売れて・・・」
「明に嫁を迎えたのは二十二年二月。信楽の雲井いうところのお百姓の娘でございます。上の
子供と同じようにお見合。後に下の子供も嫁を取り、嫁にいきましたが、みんな見合で、恋じゃ
の愛じゃのいうたものは、ひとりもおりませんなんだ。硬い一方で・・・・・・主人のきついしつけ
が役に立ちましたのやろか」

大往生した主人
「主人は二十九年六月に亡くなりました。その前年の春から具合い悪い、いい出しまして、京都
の病院へ行きました。肝臓が弱ってて、病院の近所のお寺の離れを借りました。病院は満員で、
入れなんだのでございます。私、買い物のついでに、よう散歩しました。五十年ほど前の女中の
頃を思い出しまして……息子がしっかり働いてくれたので、お金の不自由はございませんし、主人
の世話さえしてたらええので……嫁入りしてから、こんなのんびりさせてもろたん初めて。ちいそう
なった主人にくらべて、私はえらい太ってしもうて……」
「どうせ死ぬのやったら、住みなれた家で、と主人は申しますので、間もなく信楽へ戻りました。
“明日死ぬ”というのが主人の口癖で、なんべんも大騒ぎしました。そして、えらい風と雨の強い
晩、親類や子、孫に看取られてとうとう息引きとりました。したいことをして、思い残すことは無かった
のでございましょう。大往生でございました」

倒産寸前に持直す
この頃から、また信楽の景気がおかしくなり始めた。ガス、電気、石油が木炭にとってかわる「暖房
革命」だ訪れたからだ。ちょうど四男甲子男(きしお)さんの結婚などが重なる。
「始末するつもりでも、なまじええしの家いわれますので出費がかさみます。とうとう倒産寸前に
なってしもうて」
明さんは金策に走り回る。そして救いを宗教に求めた。
「よう覚えとります。三十六年十二月九日の晩でございました。明が私の枕元に座りまして“お宗旨を
かえたい”と申しました。ぴっくりしましたが、息子の思いつめた顔を見て、何で反対できましょう。
お前のしたいようにしたらええ、と言うてやりました」

長生きのおかげ
やがて火鉢の代わりに、植木鉢やガーデン・セットが売れはじめる。都会人の間に緑を求める園芸ブーム
が起こったからだ。再び信楽焼は活況を取り戻し、子よしさん一家にも笑顔が浮かぶようになる。
「主人が亡くなりましてから、ほうぼうの温泉や名所へゆけるようになりました。かわいそうに、主人
も生きてたら、こんな楽しい目にあえるのに……と思うと、胸がいっぱいになって」
彼女は今が一番しあわせ……という。
「年かっこうの似た近所のおばあさんばっかり六人で、友達講というのをつくっとります。会費は月に
二百円。毎月十五日に当番の家に集まって、おしゃべりするのでございます。おすし茶碗蒸しを食べブドウ酒
をいただいて…お金をためて、大阪へ泊りがけで芝居見物にゆくこともあります。いつか、会員のひとりが
“私の知ってる宿屋へいこ”言うてついていったら、道に迷うて分からんようになって、とうとう、温泉
マークのホテルへ入りました。おばあさんのアベックやー言うて笑われて」
孫が十四人、ひ孫が三人。長生きしたおかげで「ええ目させてもらえます」と子よしさんは目を細めた。